今日のお昼はカップ麺。
ひさびさに深皿スタイルのカップ麺を作ろうと思ったら、先に入れろ、直前に入れろ、あとから入れろと具材の投入指示がなんと細かいことよ。
100円そこそこの価値しかないヤツの指示に、なんで大の大人が従わなきゃならないのか、ふと疑問を感じました。指示に従わなかったら不味い食事になるのは分かっているとはいえ、ね。
つくづく、カップヌードルの簡潔さは偉大だなぁ。
江戸たまねぎの見て聞いて触って思ったこと、ブログ第二版。
今日のお昼はカップ麺。
ひさびさに深皿スタイルのカップ麺を作ろうと思ったら、先に入れろ、直前に入れろ、あとから入れろと具材の投入指示がなんと細かいことよ。
100円そこそこの価値しかないヤツの指示に、なんで大の大人が従わなきゃならないのか、ふと疑問を感じました。指示に従わなかったら不味い食事になるのは分かっているとはいえ、ね。
つくづく、カップヌードルの簡潔さは偉大だなぁ。
先日、忘年会の席に突然スッチーの格好(正しくはキャビン・アテンダントの格好、か。長っ)をした女性が「ちょっとよろしいですかぁ?」と乱入してきた。何かと思ったら、タバコの新製品紹介とサンプル配布。
もらったのは「KENT NANOTEK」という、やたらに細いタバコ(通常φ8mmのところφ5mm)。葉の量を減らすことで、味の濃さを変えずに一本当たりのタール&ニコチン量を下げようという寸法らしい。パッケージもスリム。
タール1mgと4mgのがあって、CAMEL MILD(8mg)愛好家の私ゃ濃い方を選択。確かに、味はしっかりしている。でもね、口元の細さが、串焼き屋でタバコを切らして仕方なく串をくわえているような、そんな物悲しい気分を引き出してしまうのでした。
よって、企業努力は買うけれど、商品は買わない!
私らは、ちょうど色んなモノが「マニュアル操作が当たり前」から「自動操作が当たり前」に移りゆく過程にあった世代です。
例えば、クルマ。オートマ自体は大昔からあったにせよ、オートマ限定免許なるものが出現したのが、ちょうど私が沖縄で自動車免許を取ろうとしていた時期でした。当時は「オトコはマニュアル」が当たり前だったので、そこで敢えてオートマ免許を選択する男はヤヤ白い目で見られていたものです。
実際、内地で大渋滞にはまるとオートマは楽なんですけどね。沖縄では渋滞する地域が限定的で、その規模も大したことはないので、マニュアルでも問題なし。今更「オトコはマニュアル」というコダワリはありませんが、マニュアル車を選ぶことに抵抗がなく、かつ、マニュアルならではの楽しさを知っている。5速マニュアルのネイキッドを購入した理由は、そこらへんにありました。
そう遠くない未来、電気自動車が当たり前になったら、そもそも構造的にマニュアル・シフト(クラッチ操作)が存在し得ないので、この操作が出来る我々は無形文化遺産として表彰されることになるのでしょう。
もひとつ世代を絡めた私個人の特徴として挙げられるのが、一眼レフカメラ。その履歴は、露出計すらついていなかった祖父の KONICA FP に始まり、その後 PENTAX ME Super→Super A、そして銀塩AF世代をすっ飛ばして、PENTAX *ist Ds→K10D と続いています。
大学生のときに沖縄海洋博水族館の鯨類調査のお手伝いしていた際、撮影機材として持ち込まれたのが PENTAX LXとオートフォーカスのSFX。当時のオートフォーカスは遅いうえにオバカで、マニュアルフォーカスした方が速くて正確。この体験が、私のオートフォーカス・カメラに対する偏見を育んでしまいました(実際、90年代中盤までのAF性能は実用的ではなかったと思う)。結果、私のレンズは全てマニュアルで、カメラ本体もデジタル一眼購入までアップデートされることがありませんでした。
とうことで、今やカメラは新しいくせに、マニュアル・フォーカスで、レンズの絞り環がいじれて、露出もマニュアル主体という、捩じれた骨董人間の出来上がり。もっとも、カメラ側に絞りダイヤルが移行したAPSデジタル一眼の場合、MFレンズが使えるというだけで操作がちっとも楽しくないので、AFズームの方が気楽で良いなと、しみじみ感じておりますが。
そうそう。骨董といえば。
しばらく前、大学時代の友人家族と外食した時のこと。店のマッチをすってタバコに火をつけたら、子供が興味津々。なんでもマッチの存在を知らなかったそうな。その子にしてみると、擦ると火のつく棒なんて、まさに手品。確かに、いまどきマッチを目にする機会なんて、そうそうありませんものねぇ。
とはいえ。この世にマッチを知らん人がいるという事実に、心底驚かされました(笑)。