DAIHATSU NAKED:カーステレオの交換

初期型ネイキッドについてきたカーステは、カロッツェリアのカセットレシーバー「KEH-P3786」でした。デザイン的には好きな部類だし、今どき珍しいMade in Japanだし、といったプラス要素があるにせよ、今更カセットテープなんて使いませんがな。

ちなみに私が日常的にクルマを運転していたのはカーナビが当たり前になる以前の時代だったので、私自身はカーステが当たり前の人間のまま現在に至ります。確かにレンタカーで見知らぬ土地を走り回ったときにカーナビは重宝したものの、沖縄本島に乗り場所が限定されるなら、古式ゆかしい紙のロードマップで私ゃ十分。それよりも、ちゃんといい音を聴きながらドライブしたい。そのほとんどの音源はMP3であり、ファイルをMacのiTunesで管理している私が選んだのは、カロッツェリアのCDレシーバー「DEH-P640」。思い立ったが吉日の私は、沖縄に引っ越す前に買っていました。

ネイキッドのカーステ交換は極めて簡単。必要な工具はプラスドライバー1本。まず、センターコンソールの上から3つ目までの左右のネジ(写真の黄色の円)を外し、4つ目のネジ(同じく橙色の円)を緩めてやるとコンソール上部の枠がシガーライター部ごと外れます。以降の手順は現物を目にした通り。カーステ部のステー固定ネジをドライバーで外したらステーごとゴソッと抜き出し、各ケーブルを抜き、カーステとステーを固定しているネジを外す。あとはカーステ本体を交換するだけ。

と、思いきや。何気にコノ「KEH-P3786」は、カロッツェリア・ブランドだけどダイハツ純正仕様だったことが判明。従って、同じブランドだけどサードメーカー品である「DEH-P640」には、ダイハツ車用の変換ケーブルが必要になるのでした。

仕方がないので、近くのオートバックスまでクルマで出かけ、最後の1本となっていたトヨタ・ダイハツ車用の変換ケーブルを購入。すぐ近くの公営駐車場まで移動してそのまま作業を続けました。たまたま、この駐車場、妙に人通りが多い。クルマに閉じこもってゴソゴソしている姿は、通行人にはただのカーステ泥棒にしか見えないようで、アカラサマに不審気な視線が痛い・・・。ちがうんだ、それは誤解なんだ!と心の内で必要のない弁解をしながらその手を速め、変換ケーブルを足した分カサが増えたケーブルの束を奥の方に詰め込み、カーステを再固定。センターコンソールの枠を嵌め直して、作業完了。

と、まぁ、こんな流れでした。交換中の写真がなくて申し訳ないですが、全てネジ止めでありツメによる嵌合部がないため、「見たままにネジを外し」て「元の状態に戻す」だけの、写真で補足するまでもない作業です。カーステ本体をステーに固定する際にネジをシートの下に落として取り出すのに苦労しましたが、必要となるのはそういった作業上当たり前の注意だけ、でしょう。

「DEH-P640」については、後日レポートします。

MOTTAINAI

私は台所にオフィスコーナーを設けています。

台所の床はフローリングパターンのビニール系マット。なにせ柔らかいので、イスや机を置いておくだけで簡単に凹みがついてしまいます。このため、床面保護目的で作業スペースと食卓兼打ち合わせスペースの範囲を50cm角のタイルカーペット(ニトリで300円弱)で敷き詰めました。

タイルカーペットの底面は、動かないようにゴムシートになってはいるものの、キャスター付きのイスを使っていると段々その周りのカーペットが微妙にズレて隙間が空いてくる。なーんか、そーゆーのが気になる性質なので、2〜3日に1度くらい、端の方からえいや!ずずい!と隙間を詰め直すのが習慣づいてしまいました。なんて面倒くさいものを買ってしまったんだろう、と少し後悔。

そんな日々を過ごしていた、あれはそう、2食続けて餃子を食べた昼下がりのこと。3食目となる夜の餃子に備えて昼は軽く済ませておこうかねぇ、と、取り出したのはカップ麺。パソコンに向かいながら食事していて、ふとマウスに手を伸ばそうとした瞬間、誤ってカップ麺の容器に触れ、半分くらい残っていた「日清・麺の達人(味噌)」がバシャー!と床にこぼれ落ちたのです。

幸いなことに、被害にあったカーペットは、ちょうど1枚分。そそくさと麺と具をティッシュでかき集めてゴミ箱に捨て、スープの染み込んだカーペットを抜き出して台所洗剤で洗浄し、そのままベランダで乾燥。今は何事もなかったかのように、定位置に戻っています。

いやぁ。タイルカーペットにはこんな利点があったのかー。例え取り返しのつかない汚れ方をしても、部分的に張り替えれば良いもんなぁ。多少、隙間が気になったとしても、まぁ、許してやろう。うん。

ちなみに。カーペットに染み行くスープと横たわる麺を見て最初に思ったのは・・・

「まだ半分も食べてないのに・・・」

まぁ、男なんて、そんなもんでしょう。

ギョーザ・カレー

先週、近くのスーパーで30個入りチルドギョーザを特売で買ってホクホクしていたのは良かったのだけれど、そのまま冷蔵庫に入れたまま時が過ぎ、賞味期限が昨日までだったことに気づいたのが昨日のこと。当然、昨夜の晩ご飯は焼餃子。ここでまず半分、15個消化。そして今朝も焼餃子。6個消化。残り9個。

私は餃子好きで短期間なら毎日でも続くのだが、さすがに毎食ともなるといささかゲンナリである。とはいえ食べ物を捨てるのはイヤなので、なんとしても使い切りたい。そんな葛藤の中、知人宅からもらった自家製カレーペーストの存在を思い出した。前述の通り、私は餃子が好きである。そして、カレーも好きである。よって、ギョーザ・カレーも好きになれるはずである。いや、ちょっと待て。子供たちが大好きなものを合体させたハンバーグ・カレーやスパゲッティ・ハンバーグのような成功例は確かにある。だが、ギョーザ・カレーに落とし穴はないだろうか? 私はここで思考実験を進めた。

1)カレー風味の餃子は成立するか?
YES。成立しそうである。水餃子なら如何にもありそうだ。ピリ辛がポイントになるであろう。

2)餃子とカレーの具材の親和性は高いか?
YES。豚肉/タマネギ/ニンニク/ショウガといった共通項がある。これらが他の食材のまとめ役になることが期待できる。

3)餃子の皮とカレーの親和性は高いか?
YES。餃子の皮の感覚はトルティーヤに近い。カレーとトルティーヤの組合わせは、カレーとナンには及ばずともそれなりに期待できそうである。故に、カレーと餃子の皮の相性に問題はないであろう。

どうやらギョーザ・カレーの妨げになる要素はなさそうだ。

知人宅には小さい子供がいるため、その自家製カレーペーストは少々甘めにできている。そこで餃子との親和性を高めるため、醤油を加え、ラー油替わりにガラム・マサラを少し多めに振る。餃子は、皮のパリパリ感を出すため、いつもよりも強めの火で焼く。そして、合体。あいにく我が家にはシチュー皿がないため、ギョーザ・カレー丼になってしまったが、それでもその姿はまるでカツカレーのようではないか! これは期待できそうである。

まずはカレーを一口。ふむ。醤油の風味も多めのガラム・マサラも良い感じである。続いて餃子をぱくん。口の中に餃子の汁が溢れる。もぐもぐ。なんだ、これ。妙に生臭くてイヤな味が・・・。

餃子はカレーの中で煮込まれた訳ではないので、当然、皮の中は普通の焼餃子のままである。最初のうち、皮はカレーと共存の道を歩んでいるのだが、噛み破られて現れる中の汁によってカレーの風味が洗い流され、そして水っぽくて味のない皮だけが口に残る。さらにカレーの強い刺激に曝された舌には餃子の具材の味が分かりづらくなり、結果、汁の中のニラの風味だけが自己主張を始めるのだ。そうだ、そうに違いない。ユーレカ!

そんなことを考えながら、夕食を終えた。なるほど、いつもと違う味覚で餃子を見事に使い切ったことで、ひとまず一定の成果を挙げたものとしよう。だが、なにか釈然としない。ニラのない餃子は、餃子として成立しない。ということは、ギョーザ・カレーに使うべきニラ抜きギョーザは、カレーに混ぜるただそのためだけに存在せねばならないのだ。これは不合理である。よって、このレシピは今日一日限りで頭の中のゴミ箱に投げ入れるとしよう。

・・・でも、ニラを入れず、汁を増やすタマネギを入れず、その代わりに溶けるチーズを入れ、揚げ餃子にすれば・・・ひょっとして・・・

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