先週、近くのスーパーで30個入りチルドギョーザを特売で買ってホクホクしていたのは良かったのだけれど、そのまま冷蔵庫に入れたまま時が過ぎ、賞味期限が昨日までだったことに気づいたのが昨日のこと。当然、昨夜の晩ご飯は焼餃子。ここでまず半分、15個消化。そして今朝も焼餃子。6個消化。残り9個。
私は餃子好きで短期間なら毎日でも続くのだが、さすがに毎食ともなるといささかゲンナリである。とはいえ食べ物を捨てるのはイヤなので、なんとしても使い切りたい。そんな葛藤の中、知人宅からもらった自家製カレーペーストの存在を思い出した。前述の通り、私は餃子が好きである。そして、カレーも好きである。よって、ギョーザ・カレーも好きになれるはずである。いや、ちょっと待て。子供たちが大好きなものを合体させたハンバーグ・カレーやスパゲッティ・ハンバーグのような成功例は確かにある。だが、ギョーザ・カレーに落とし穴はないだろうか? 私はここで思考実験を進めた。
1)カレー風味の餃子は成立するか?
YES。成立しそうである。水餃子なら如何にもありそうだ。ピリ辛がポイントになるであろう。
2)餃子とカレーの具材の親和性は高いか?
YES。豚肉/タマネギ/ニンニク/ショウガといった共通項がある。これらが他の食材のまとめ役になることが期待できる。
3)餃子の皮とカレーの親和性は高いか?
YES。餃子の皮の感覚はトルティーヤに近い。カレーとトルティーヤの組合わせは、カレーとナンには及ばずともそれなりに期待できそうである。故に、カレーと餃子の皮の相性に問題はないであろう。
どうやらギョーザ・カレーの妨げになる要素はなさそうだ。
知人宅には小さい子供がいるため、その自家製カレーペーストは少々甘めにできている。そこで餃子との親和性を高めるため、醤油を加え、ラー油替わりにガラム・マサラを少し多めに振る。餃子は、皮のパリパリ感を出すため、いつもよりも強めの火で焼く。そして、合体。あいにく我が家にはシチュー皿がないため、ギョーザ・カレー丼になってしまったが、それでもその姿はまるでカツカレーのようではないか! これは期待できそうである。
まずはカレーを一口。ふむ。醤油の風味も多めのガラム・マサラも良い感じである。続いて餃子をぱくん。口の中に餃子の汁が溢れる。もぐもぐ。なんだ、これ。妙に生臭くてイヤな味が・・・。
餃子はカレーの中で煮込まれた訳ではないので、当然、皮の中は普通の焼餃子のままである。最初のうち、皮はカレーと共存の道を歩んでいるのだが、噛み破られて現れる中の汁によってカレーの風味が洗い流され、そして水っぽくて味のない皮だけが口に残る。さらにカレーの強い刺激に曝された舌には餃子の具材の味が分かりづらくなり、結果、汁の中のニラの風味だけが自己主張を始めるのだ。そうだ、そうに違いない。ユーレカ!
そんなことを考えながら、夕食を終えた。なるほど、いつもと違う味覚で餃子を見事に使い切ったことで、ひとまず一定の成果を挙げたものとしよう。だが、なにか釈然としない。ニラのない餃子は、餃子として成立しない。ということは、ギョーザ・カレーに使うべきニラ抜きギョーザは、カレーに混ぜるただそのためだけに存在せねばならないのだ。これは不合理である。よって、このレシピは今日一日限りで頭の中のゴミ箱に投げ入れるとしよう。
・・・でも、ニラを入れず、汁を増やすタマネギを入れず、その代わりに溶けるチーズを入れ、揚げ餃子にすれば・・・ひょっとして・・・