日中ずっと部屋に籠ってたから、
夕暮れ時の海辺で息抜き。
ふー。
この分だと明日は雨かしらん。
江戸たまねぎの見て聞いて触って思ったこと、ブログ第二版。
日中ずっと部屋に籠ってたから、
夕暮れ時の海辺で息抜き。
ふー。
この分だと明日は雨かしらん。
沖縄では当たり前だけど内地で一般的でない食材といえば、グルクン(タカサゴ科の魚)/ゴーヤ(ニガウリ)/ナーベラー(糸瓜、食用ヘチマ)/島豆腐(堅い木綿豆腐)あたりが筆頭でしょう。缶詰ならスパム(ランチョンミート)、あとは売られている豚肉の部位が豊富なところも特長的。
また、戦後の歴史的背景のほか関税の優遇などもあるのだと思いますが、輸入物の冷凍肉が豊富でやたらに安い。安いついでに不思議なのが、メジャーブランドの国産缶ジュース(工場は沖縄)。250ml缶がフツーに50円前後、特売だと37円とかで売られています(炭酸好きの私は、もちろんケース買い)。
とはいえ、独り暮らしだと、使い切れる量に限界があるから買う気になる食材が限られてしまう。グルクンは何気に高いし、ナーベラーは微妙にカサがあるし、島豆腐も2食に分けて使っても豆腐だらけの料理になる。まして一山いくらの冷凍肉になんか絶対無理(とはいえ「特売」の二文字に弱い私は失敗も多いですが・・・)。
結果、よく買うのがゴーヤ。ニガウリの名の通り、独特の苦みがある(スイカを皮の方まで齧ってしまったときの苦みに近いかも)。しかも、見かけがグロいので、内地の人は好き嫌いがハッキリ分かれます。私も学生時代にはじめて見た時は「なんか形がナマコみたいで嫌」だったのですが、一度食べてからはフツーに選択肢のひとつとなりました。ちなみに私が嫌いなのは、数の子/煮こごり/ウドの3品で、どれもそうそう食卓に並ぶ物ではありませんので、普段は何でも来いやー状態です(だからギョーザ・カレーとか作ってバカを見る)。
買ったゴーヤは、真っ当にちゃんぷるーにしたり、夏野菜風にカレーに入れてみたり、茹でて醤油をかけたりして食べてます。価格は2本で160円から1本300円くらいまでと幅がありますが、むろん?貧乏性の私が買うのは安い方。ちゃんぷるーの場合、だいたい1本で3〜4人分くらいが適正だと思うのですが、独り暮らしだと1回で半分使って残りをラップ。そうなると、やたらにゴーヤの占める割合の多い料理の出来上がり。まぁ、嫌いじゃないからいいけど、ゴーヤって火の通し加減が案外微妙なので(テフロン加工のフライパンで油が少ないからかなー)、私にとって安上がりで用途も広いけど、失敗すると被害も大きい食材、ですね。
まぁ、食には余り頓着しないので、なんであれ食べちゃいますけど(笑)。
学生当時は沖縄の「自然」にばかり親しんでいて、沖縄の「文化・芸能」にはトンと縁がなかった私。そんなこともあり、引っ越してきてからはバランスよく嗜もうと思っています。そんな折、「仲田幸子の舞台を観に行かない?」というお誘いがあったので、台風20号の風雨の中、浦添市の「てだこホール」までクルマを走らせました。
さて、恐らく内地の人は「劇団でいご座」と言われてもピンとこないと思いますが、座長である仲田幸子の名は「喜劇の女王」として沖縄県民に広くその名が知られている存在。私が学生時代だった頃はローカルCMでやたらに見かけていたのですが、先月引っ越してきてから沖縄版のデジタルテレビ移行CM「地デジいちデージ」で久々にご対面。調べてみたら、76歳ですって。あら、まぁ。
今回は「犯罪被害者支援チャリティー公演」ということで、単独公演ではなく3つのグループのトリをつとめる舞台。はじめに座長である仲田さんの挨拶があったのですが、なにせうちなー言葉全開なので、7割方分からずじまい@@(昔はもう少し聞き取れてたんだけどな・・・)。周囲の大爆笑にあちこち取り残されて、ちょと悔しい気分。とはいえ細かい言葉は分からずとも、ニュアンスで十分笑えるからオッケー(でも勉強しておこう)。
舞台は「新聞少年」という演目。5人兄妹の末妹が病でふせっているなか、その息子が新聞配達をしながら家計を支えている。上3人の兄妹(仲田さんは長女役)は遊んでばかりいて、甥が困窮を訴えても自分達が得する事だけ考えていて損することには一切手をかけない。そこへハワイで事業を失敗したうえに大怪我した末弟が帰ってくる。上の3兄妹は冷たくあしらうが、困窮しているはずの新聞少年が手を差し伸べる。ところが、どうしたことでしょう・・・、という内容。長女・仲田幸子の吐く「毒」と、長男次男のどうしようもなく日和見なキャラクターに大いに笑いました(もちろん、セリフはうちなー口)。
先日、エイサー団体「美らさー」の舞台を眺めていたときにも感じたのですが、沖縄では舞台と客席の心理的な距離が「近い」ですね(少なくとも私が東京で眺めていた範囲との比較に於いては)。観客側も慣れているし、なにより積極的に一緒になって楽しもうという空気が濃いような印象を受けています。日常生活の中に「エイサー」や「サンシン」が入り込んでいるので、観客側も出演側と同じ文化的芸能的な下地を共有している、という面も強いのかもしれませんねー。もっとも、沖縄でも世代を追うごとにうちなー言葉が失われてきつつあるそうで(学生時代からは想像もつかないのだけれど、全国チェーン店の店員とかホテルのスタッフなんか、東京出身の私よりも正しい標準語を使ってたりする)、これがただの方言レベルまで落ち着いた頃には、沖縄文化の独自性も薄れているように思えて、それはそれで寂しい気もしますね。